中でも結城上野入道が乗った船は、強風に吹かれて、渺々たる海上に揺られ漂うこと七日七夜である。いよいよ大海に沈むか、地獄の番人の国に落ちるかと思われたが、風が少し静まって、これも伊勢の安野津へ吹き寄せられた。ここで十日あまりが経った後、なお奥州へ下ろうと、海を渡るよい風を待っていたところに、急に思い病を得て起きることもまったくできず、この世の定めも終わるかと思われたので、立派な僧が枕元に寄って、
「これまではあれでも何とかと思っておりましたが、ご病気が日を追って重くおなりですので、今はご臨終の日が遠くないと思われます。どうか浄土への往生の望みを怠ることなく、称名を唱えながら三尊の来迎をお待ち下さい。
それにしても、この世にどういう思い残されることがおありですか。お心に懸かる事がありましたら、言い残して下さい。ご子息の方へもお伝えしましょう」と言ったところ、この入道はもう目を閉じようとしてが、がばと跳ね起きてからからと笑い、震える声で、
「私はすでに齢七十に及んで栄華は身に余るものがあるので、今生においては一事も思い残すことはありません。ただ今回京へ上って朝敵を滅ぼすことができないで、むなしくあの世への旅に出かけることは、永遠の妄念となるだろうと思われます。そこで愚息の大蔵権の少輔にも私の後世を弔おうと思うならば、仏に供え物をし僧に布施を与えるような供養をしてはならない、ただ朝敵の首を取って私の墓の前に懸け並べて私に見せてくれと言い置いたということを伝えていただきたい」と、これを最後の言葉として、刀を抜いて逆手に持って、歯を食いしばって死んだのだった。罪深い人が多いと言っても、終焉にこれほどの悪相を示したことは、古今に聞いたことがないほどだった。
実際にこの道忠の普段の振る舞いを聞くと、「十悪五逆」の悪行があり、罪障がこの上ない悪人である。鹿を狩り鷹を使うことはまだ世俗に行うことなので、言うに足らない。罪のない者を打ち縛り、僧尼を殺すこと数知れない。常に死人の首を見ないと気が塞ぐと言って、僧俗、男女を問わず毎日二、三人の首を切って、ことさらに目の前に懸けさせた。だからあの者がしばらくでもいた辺りは死者の骨がいっぱいで屠殺場のようであり、死骸が積み重なって墓地のようである。この入道が伊勢で死んだことは、遠くのことなので故郷の妻子はまだ知ることがなかったが、その頃縁のある律僧が武蔵国から下総へ下ることがあった。日が暮れて道は遠く、泊まるべき宿を捜しているところに山伏が一人現れて、
「さあついていらっしゃい。この辺りに旅僧の世話をしてくれるところがあります。そこへお連れ申そう」と言ったので、行脚の僧は喜んで山伏の案内で遠く行ってみると、鉄の築地を築いて金銀の楼門が立っている。その額を見ると、「大放火寺」と書いてある。門から入って中を見ると、立派でこの上なく美しい仏殿がある。その額に「理非断」と書いてある。
僧をその宿に置いて山伏は中に入った。しばらくしてその山伏が中から法華経を入れた螺鈿の箱を持ってきて、
「いまからここで不思議な事があるはずです。どんなに恐ろしく思われましても、興奮しないで身も口も心も鎮めてこのお経を読んでいなさい」と言って、自分は第六巻の紐を解いて寿量品を読み、僧には第八巻を与えて普門品を読ませた。僧はどういうことかと不思議に思いながら山伏の言うのに従って口では経を誦し心には妄想を払い静かに坐っていた。
夜半を過ぎる頃に、月が急に曇って雨が激しく稲光がして、牛頭や馬頭といった地獄の獄卒たちが数え切れないほど広い庭に集まった。天地はたちまち変わって鉄の城が高くそびえ鉄の網が四方に張られた。激しく火が燃えて炎が高く上がり、毒蛇が舌を伸ばして炎を吐き、鉄の犬が牙をむきだして吼えかかる。僧はこれを見て、ああ恐ろしい、これは無間地獄であろう恐ろしく思って見ているところに火も燃えさかる車に罪人を乗せて、牛頭、馬頭の鬼たちがながえを引いて空からやってきた。待っていた気負い立つ鬼たちは、鉄の大岩のような俎を庭に置いて、その上にこの罪人を捕まえて仰向けに寝かせ、その上にまた鉄の俎を重ねて、たくさんの鬼どもが膝を曲げ肘を伸ばして、かけ声を出し、えいやえいやと押すと、俎の端から血が油を絞り出すように流れ出る。これを受けて大きな鉄の桶に入れて集めると、まもなくいっぱいになって、夕日を揚子江に浸したようである。
その後二つの俎を取り除いて神のように平べったくなった罪人を鉄の串に刺して炎の上にこれを立てて、ひっくり返しながらあぶる様子は、まったく料理人が肉を調理するようである。しっかりあぶって乾かした後、また俎の上に広げて肉切り包丁に鉄の箸を添えて持って、ずたずたに切り刻んで、銅の唐箕の中に投げ込んだのを牛頭や馬頭の鬼達が唐箕を持って「活、活」と唱えて振るうと、罪人はすぐによみがえって、また元の形になる。その時に獄卒が鉄の杖を持って罪人に向かい、怒りの言葉を出して罪人を責めて、
「地獄が地獄なのではない。お前の罪がお前を責めるのだ」と責める。罪人はこの苦しみに責められて、泣こうとするけれども涙は落ちない。激しい火が目を焼くので叫ぼうとするが、声が出ない。鉄の玉が喉を塞いでいるので、もし一瞬の苦しみを語ったとしても、聞く人は地に倒れてしまうだろう。客の座にいる僧はこれを見て、正気も失い骨の髄も砕けてしまう気がして恐ろしく思われたので、主人の山伏に向かって、
「これは、どのような罪人をこのように責めるのですか」と尋ねると、
「これこそは奥州の住人、結城上野入道という者で、伊勢国で死にましたが、阿鼻地獄へ落ちて責められているのです。もしあなたがその方に縁のある方でいらっしゃるのならば、生き残った妻子達に、一日、経を書き供養して、この苦しみをお救いなさいと仰ってください。私はあの入道が今度上洛したときに、鎧の袖に名を書きました、六道能化の地蔵菩薩です」と詳しく教えたので、その言葉がまだ終わらず、暁を告げる鐘の音が松を吹く風に響いて、一声かすかに聞こえると、地獄の鉄の城もたちまちかきけすように消えてなくなり、あの山伏の姿も見えなくなって、座に坐っている僧だけが、野原の草の露の上に茫然と座っていたのだった。
夢ともうつつとも分からないままに、夜がすでに明けたので、この僧は現れた不思議なことに驚いて、急いで奥州に下り、結城上野入道の子、大蔵権少輔にこのことを語ると、父の入道が伊勢で死んだことをまだ聞いていなかったので、「これは皆夢の中の妄想か、現実の中の怪異か」と、事実ではないように思った。
その後三、四日して、伊勢から飛脚が下って来て、父の上野入道の遺言の様子や臨終の恐ろしい姿などを詳しく語ったので、僧の言うことは一つも間違いのないところだったと信用して、七日ごとの忌日に当たるたびに一日経を書いて供養し、孝行の追善供養をした。
「『もし法を聞くことあらん者は一人として成仏せずということなし』というのは如来の尊い言葉、この経の趣旨なのだから、八寒八熱の地獄の底までも、悪行も猛火はただちに消えて、清涼の水が湛えられるだろう」と、導師が仏を称える言葉を述べて、ありがたい言葉で説かれたので、聞く者は喜びの涙を流し、袂を濡らした。
これは全て地蔵菩薩の立派な教化であって、あの様子を見せて追善をなさせるためのものだった。仏との縁の多少によって、利益の厚薄はあっても、現世の導師、大慈大悲の菩薩に出会うならば、僧の願いでも俗人の願いでも、よい願いは叶えられるだろう。現世でも来世でも、立派な導きをするという仏の御誓願はありがたいものである。
《結城入道は、もともとは北条に仕えていた人です(巻第二・三章2節)が、新田が蜂起して鎌倉を攻めた時に新田に付いたようで(コトバンク)、その後、三井寺の合戦(巻第十五・三章2節)やそれに続く京での合戦(同・四章3節、五章3節)で活躍し、北畠顕家の二度目の上洛に際して同行して再度上洛し(巻第十九・七章1節)、顕家が討たれた後、吉野に残っていたようです。
このようにこれまで幾度も出て来ましたが、いずれもただ名前が出ているだけ具体的な行動はほとんど語られておらず、ここに言われる「『十悪五逆』の悪行があり、罪障がこの上ない悪人」というような極悪非道の様子は見られませんでした。
しかし戦乱の中で生きた人は誰しもが、多かれ少なかれ、非道な行いは避けられなかったということはあるのでしょう。ここの話は、そういった人々の不安を、結城に代表させて、潔斎しようという狙いでしょうか。作者の、ここまでの登場人物に対する供養という感じです。
かくして、新田義貞の現世の物語が終わって(彼は怨霊となってこの後も折々活躍するようです)、この巻も終わりとなり、分量的に全四十巻のちょうど半分を読み終わりました。以下、巻が改まって、情勢が大きく転換して行くことになります。》
「これまではあれでも何とかと思っておりましたが、ご病気が日を追って重くおなりですので、今はご臨終の日が遠くないと思われます。どうか浄土への往生の望みを怠ることなく、称名を唱えながら三尊の来迎をお待ち下さい。
それにしても、この世にどういう思い残されることがおありですか。お心に懸かる事がありましたら、言い残して下さい。ご子息の方へもお伝えしましょう」と言ったところ、この入道はもう目を閉じようとしてが、がばと跳ね起きてからからと笑い、震える声で、
「私はすでに齢七十に及んで栄華は身に余るものがあるので、今生においては一事も思い残すことはありません。ただ今回京へ上って朝敵を滅ぼすことができないで、むなしくあの世への旅に出かけることは、永遠の妄念となるだろうと思われます。そこで愚息の大蔵権の少輔にも私の後世を弔おうと思うならば、仏に供え物をし僧に布施を与えるような供養をしてはならない、ただ朝敵の首を取って私の墓の前に懸け並べて私に見せてくれと言い置いたということを伝えていただきたい」と、これを最後の言葉として、刀を抜いて逆手に持って、歯を食いしばって死んだのだった。罪深い人が多いと言っても、終焉にこれほどの悪相を示したことは、古今に聞いたことがないほどだった。
実際にこの道忠の普段の振る舞いを聞くと、「十悪五逆」の悪行があり、罪障がこの上ない悪人である。鹿を狩り鷹を使うことはまだ世俗に行うことなので、言うに足らない。罪のない者を打ち縛り、僧尼を殺すこと数知れない。常に死人の首を見ないと気が塞ぐと言って、僧俗、男女を問わず毎日二、三人の首を切って、ことさらに目の前に懸けさせた。だからあの者がしばらくでもいた辺りは死者の骨がいっぱいで屠殺場のようであり、死骸が積み重なって墓地のようである。この入道が伊勢で死んだことは、遠くのことなので故郷の妻子はまだ知ることがなかったが、その頃縁のある律僧が武蔵国から下総へ下ることがあった。日が暮れて道は遠く、泊まるべき宿を捜しているところに山伏が一人現れて、
「さあついていらっしゃい。この辺りに旅僧の世話をしてくれるところがあります。そこへお連れ申そう」と言ったので、行脚の僧は喜んで山伏の案内で遠く行ってみると、鉄の築地を築いて金銀の楼門が立っている。その額を見ると、「大放火寺」と書いてある。門から入って中を見ると、立派でこの上なく美しい仏殿がある。その額に「理非断」と書いてある。
僧をその宿に置いて山伏は中に入った。しばらくしてその山伏が中から法華経を入れた螺鈿の箱を持ってきて、
「いまからここで不思議な事があるはずです。どんなに恐ろしく思われましても、興奮しないで身も口も心も鎮めてこのお経を読んでいなさい」と言って、自分は第六巻の紐を解いて寿量品を読み、僧には第八巻を与えて普門品を読ませた。僧はどういうことかと不思議に思いながら山伏の言うのに従って口では経を誦し心には妄想を払い静かに坐っていた。
夜半を過ぎる頃に、月が急に曇って雨が激しく稲光がして、牛頭や馬頭といった地獄の獄卒たちが数え切れないほど広い庭に集まった。天地はたちまち変わって鉄の城が高くそびえ鉄の網が四方に張られた。激しく火が燃えて炎が高く上がり、毒蛇が舌を伸ばして炎を吐き、鉄の犬が牙をむきだして吼えかかる。僧はこれを見て、ああ恐ろしい、これは無間地獄であろう恐ろしく思って見ているところに火も燃えさかる車に罪人を乗せて、牛頭、馬頭の鬼たちがながえを引いて空からやってきた。待っていた気負い立つ鬼たちは、鉄の大岩のような俎を庭に置いて、その上にこの罪人を捕まえて仰向けに寝かせ、その上にまた鉄の俎を重ねて、たくさんの鬼どもが膝を曲げ肘を伸ばして、かけ声を出し、えいやえいやと押すと、俎の端から血が油を絞り出すように流れ出る。これを受けて大きな鉄の桶に入れて集めると、まもなくいっぱいになって、夕日を揚子江に浸したようである。
その後二つの俎を取り除いて神のように平べったくなった罪人を鉄の串に刺して炎の上にこれを立てて、ひっくり返しながらあぶる様子は、まったく料理人が肉を調理するようである。しっかりあぶって乾かした後、また俎の上に広げて肉切り包丁に鉄の箸を添えて持って、ずたずたに切り刻んで、銅の唐箕の中に投げ込んだのを牛頭や馬頭の鬼達が唐箕を持って「活、活」と唱えて振るうと、罪人はすぐによみがえって、また元の形になる。その時に獄卒が鉄の杖を持って罪人に向かい、怒りの言葉を出して罪人を責めて、
「地獄が地獄なのではない。お前の罪がお前を責めるのだ」と責める。罪人はこの苦しみに責められて、泣こうとするけれども涙は落ちない。激しい火が目を焼くので叫ぼうとするが、声が出ない。鉄の玉が喉を塞いでいるので、もし一瞬の苦しみを語ったとしても、聞く人は地に倒れてしまうだろう。客の座にいる僧はこれを見て、正気も失い骨の髄も砕けてしまう気がして恐ろしく思われたので、主人の山伏に向かって、
「これは、どのような罪人をこのように責めるのですか」と尋ねると、
「これこそは奥州の住人、結城上野入道という者で、伊勢国で死にましたが、阿鼻地獄へ落ちて責められているのです。もしあなたがその方に縁のある方でいらっしゃるのならば、生き残った妻子達に、一日、経を書き供養して、この苦しみをお救いなさいと仰ってください。私はあの入道が今度上洛したときに、鎧の袖に名を書きました、六道能化の地蔵菩薩です」と詳しく教えたので、その言葉がまだ終わらず、暁を告げる鐘の音が松を吹く風に響いて、一声かすかに聞こえると、地獄の鉄の城もたちまちかきけすように消えてなくなり、あの山伏の姿も見えなくなって、座に坐っている僧だけが、野原の草の露の上に茫然と座っていたのだった。
夢ともうつつとも分からないままに、夜がすでに明けたので、この僧は現れた不思議なことに驚いて、急いで奥州に下り、結城上野入道の子、大蔵権少輔にこのことを語ると、父の入道が伊勢で死んだことをまだ聞いていなかったので、「これは皆夢の中の妄想か、現実の中の怪異か」と、事実ではないように思った。
その後三、四日して、伊勢から飛脚が下って来て、父の上野入道の遺言の様子や臨終の恐ろしい姿などを詳しく語ったので、僧の言うことは一つも間違いのないところだったと信用して、七日ごとの忌日に当たるたびに一日経を書いて供養し、孝行の追善供養をした。
「『もし法を聞くことあらん者は一人として成仏せずということなし』というのは如来の尊い言葉、この経の趣旨なのだから、八寒八熱の地獄の底までも、悪行も猛火はただちに消えて、清涼の水が湛えられるだろう」と、導師が仏を称える言葉を述べて、ありがたい言葉で説かれたので、聞く者は喜びの涙を流し、袂を濡らした。
これは全て地蔵菩薩の立派な教化であって、あの様子を見せて追善をなさせるためのものだった。仏との縁の多少によって、利益の厚薄はあっても、現世の導師、大慈大悲の菩薩に出会うならば、僧の願いでも俗人の願いでも、よい願いは叶えられるだろう。現世でも来世でも、立派な導きをするという仏の御誓願はありがたいものである。
《結城入道は、もともとは北条に仕えていた人です(巻第二・三章2節)が、新田が蜂起して鎌倉を攻めた時に新田に付いたようで(コトバンク)、その後、三井寺の合戦(巻第十五・三章2節)やそれに続く京での合戦(同・四章3節、五章3節)で活躍し、北畠顕家の二度目の上洛に際して同行して再度上洛し(巻第十九・七章1節)、顕家が討たれた後、吉野に残っていたようです。
このようにこれまで幾度も出て来ましたが、いずれもただ名前が出ているだけ具体的な行動はほとんど語られておらず、ここに言われる「『十悪五逆』の悪行があり、罪障がこの上ない悪人」というような極悪非道の様子は見られませんでした。
しかし戦乱の中で生きた人は誰しもが、多かれ少なかれ、非道な行いは避けられなかったということはあるのでしょう。ここの話は、そういった人々の不安を、結城に代表させて、潔斎しようという狙いでしょうか。作者の、ここまでの登場人物に対する供養という感じです。
かくして、新田義貞の現世の物語が終わって(彼は怨霊となってこの後も折々活躍するようです)、この巻も終わりとなり、分量的に全四十巻のちょうど半分を読み終わりました。以下、巻が改まって、情勢が大きく転換して行くことになります。》